ギリギリ「香ばしい」と言えなくもない、まあ、正直「焦げ臭い」と形容できる香りがキッチンから立ち上ってきた。うちのトースターは焼きムラが多いうえに、タイミングを遅らせると一気に焦がしにくるから使いにくい。あと10秒待てば立派な炭が出来上がるだろう。真っ黒なパンは弟に食べさせられない。あたしはガリガリしてて好きなんだけどな。とにかく偏食気味のあの子をグズらせるわけにはいかないのだ。あと20分で玄関を出なくては。

畳んでいた洗濯物を放り出してトースターに急ぐ。きっとだいじょうぶ。1200ワットの失敗は繰り返さない。今日は900ワットできっちり3分。あのトースターとも長い付き合い。あたしを裏切ったりはしないはず。

「・・・。」

忌々しき裏切り者は、先ほどまでふわふわの食パンだった炭の塊をまるであかんべーをするように吐き出した。これまた小馬鹿にしたようなすっからかんの音を立ててね。かしゃん、じゃないよ全く。

「いつか絶対処理場に持ってってやるからね。」

弟はまだリビングでパジャマ姿のままでミニカー相手にジャグリングしてる。さあ考えなさいお姉ちゃん。あの子に悟られずもう一枚焼く?そんな時間無いよ!バナナは?昨日食べちゃったね!!というかあと15分しかないのだけど!?いや待ってあたしも食べてないじゃない。どうしよう。ねえ、どうしよう。

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「おはよう。パパ、ママ。いい朝だね。」

泣き叫ぶ弟の口に適度に焼きしめた保存性の高い食パンを突っ込みながら、両親に声をかけた。ごめんね、また失敗しちゃった。

・・・またちょっと、臭ってきちゃったね。最近いそがしくて、洗ってあげてないもんね。今日は帰ったら必ずお風呂に入れてあげるから、待っててね。パパ、ママ。

「ほら!泣いてないでパパとママに『いってきます』して!ダッシュだよ!バスがもう来ちゃう!」

あいあーい。あーいあーい。

よし。何言ってるかわかんないけどちゃんとご挨拶できました。じゃいってきます!!!
納屋の鍵を閉めて、戸締まりチェック。玄関を出る時セコムをセット(おまじないみたいなモノ)、あとは集合場所まで猛ダッシュ!間に合うかなあ。

大体ね、毎日焦げパン咥えながら街を走ればどんな美少女だって運命の人とぶつかる筈じゃない?おあつらえ向きな曲がり角をもう4つは通り過ぎたわ。

そりゃそうよね。焦げパン咥えてるのは弟だし、あたしはそれを抱えながら猛ダッシュしてる痩せっぽちのアスリートだもの(それに美少女じゃないかもしれない)。このままやり投げのように集合場所に投げ込んじゃう?ダメね。この子に着地を覚えさせなきゃ。

それに運命の人っていっても、子供だけだもんなあ。あたしはパパみたいな落ち着いた大人の男性と恋がしたいのだけど、もう居ないしなあ。いや、居るけど臭いがなあ・・・。ほんとに好きなら気にならないのかしら。どっちにしてもお話も出来ないんだし、デートもつまんないだろうな。

いけない、忙しい時ほど考え事しちゃうのがあたしの悪い癖だ。ああ、もう腕攣りそう。こんなにちっちゃいのにどうしてこんなに重いの?さっきまで泣いてたのにもう笑ってるし。早く走れるようになってほしいな。そしたらあたしを抱っこして連れてってね。弟に抱っこされるのも悪くない。この子ママ似だしイケメンになるだろうしね。

あー・・・。ダメか。その頃はあたしもパパとママの仲間入りだもんね。この子一人で大丈夫かな。お風呂とか任せるの超イヤなんですけど。腐っても女の子よあたし。

だから!考え事はいいから急ぐの!!

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「おっせーよ、先に出ちまおうかと思ったよ。」

うっさいわね・・・はぁ・・・アンタこの10kgの塊抱えて1kmダッシュしてごらんなさいよ・・・はぁ・・・ちょっと、ごめん降りてもう、腕限界・・・。

「まあ、どうせ児童数も少ないし置き去りにするほど忙しくもないけどな。」

「したでしょ一回!!そのせいで10kg抱えてハーフマラソンするハメになったんだからね!」

このドライな所はほんとに虫が好かないけど、この辺で大型バスを運転できるのはコイツだけだ。あたしもパパに運転教わっとけばよかった。そしたら自分で送迎できるのに。

「まあいいや、じゃいってらっしゃい。おねえちゃん先生の言うこと聞いて、しっかりお昼寝もするんだよ?お昼も残さないこと。いいね?」

あーいあーい。

はい。わかったならよろしい。

「じゃあ頼むね。ていうか危ない運転したら殺すから。」

「したことねえよ。じゃあお迎えは三時な。遅れんなよ。」

バスのバンパーにつけられた目新しい傷は見逃さない。全くこんな馬鹿に大事な弟の命を預けなきゃいけないかと思うと、お姉ちゃんは情けないよホントに。

黒煙吹きながら小さくなってくバスを見送って、ガッチガチの肩を回しながら独りごちる。

「あのバスあとどのぐらい動くのかな。整備方法とかわかんないもんなあ・・・。」

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あの日以来、世の中を動かしている大人達はみんな違うとこに行っちゃった。目の前に居るパパやママは、面影こそ昔のままだけど、日に日に肌が赤黒くなって、イヤな臭いを放つようになってきてる。毎日洗ってあげればそんなに気にならないけど、無理やり洗うと今度は皮膚とか剥がれちゃうからね。

あたし達は大人たちの見よう見まねで、この街を元通りにしようとしてる。正直いって、他の街がどうなってるかわからないけど、多分この街はうまくいっている方だと思う。高校生のお兄さんやお姉さんがいろんなお店を切り盛りしてるし、調理部の先輩が開いてる牛丼屋は毎日大盛況だ。

流通が止まってないのも、うまくいってる証拠だと思う。郊外の牧場や農場では、あたし達みたいな子達が牛や農作物の世話を続けてるらしい。食料はそこで分けてもらえるから、あたし達は食べるものに困ってない。

まさか暴走族のヤンキー達が長距離トラック運転手やってくれるとは思ってなかったな。最初は怖かったけど、事情を話したら快く引き受けてくれた。まあ、あの馬鹿もその一人だから感謝はしてる。でも馬鹿は馬鹿なんだよなあ・・・。

問題は電気。奇跡的にずっと通ってる。先輩が言うには、原発はそのまま稼働を続けてて、送電所も電柱も、メンテナンスはされないものの今までどおり動いてるらしい。ただし、いずれは止まると思うって。煙草臭いおじさん達が電柱に登って何かやってるのは見てたけど、ああやって街の電気を守ってくれてたんだね。今更だけど感謝します。街でさまよってるの見つけたら連れてきてあげよう。

治安もすこぶる良い。やっぱりあたし達日本人って、暴動起こすほどの度胸はないんだね。それは子どもたちもそうみたい。ああいう大人たちに育ててもらったんだから、まあ似るよね。だってヤンキー達だってちっちゃい子の世話してるぐらいだもん。略奪はあったけど、集団暴行とか、殺人とか、この街ではあまり起こらなかった。それって素敵なことだよね。だからこの街が好き。

それに、パパやママたちもすごいよね。だって『あんなふうに』なったのに、あたし達を襲わなかったもの。善人は死んでも善人なんだね。代わりにネズミとか食べてるの見て悲しくなったけど。それでもあたし達のことを忘れないでいてくれるから、あたしはずっとパパやママと一緒にいられる。少し臭いけどね。

他の家もそうみたいで、みんなが両親の世話をしてる。やっぱり見捨てられないんだよね。大好きだったもん。

大好きだったから。この街を見捨てられないの。

もう殆どの国民は中国に渡ったみたい。

そこで何不自由無い生活ができてるって噂。学校にも行けてるって。
でもね、でもそれも二十歳まで。二十歳の誕生日を迎えた子から・・・。

それならあたしは。あたし達は。

大好きなこの街でパパやママと弟と一緒に暮らしてたいじゃない?




「さあ、ではでは、探しものに戻りますかね。」

今日はYAMAHA音楽スクールでも行ってみようかな。あらかた持ってかれちゃってるけど、部品ぐらい見つかるかもね。

急がないと間に合わないからね。

あたし今日ずっと急いでるな。まったくもう。